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前兆 | ![]() |
初めての病院 | ![]() が、初めて行った国立病院ではレントゲンのみでMRIも撮って貰えず、「腰痛」として シップと痛み止めを渡されるだけだった。 |
交通事故 | ![]() 21歳の時に、車の運転中、その直進走行中に右折車に衝突されるという交通事故に遭う。そのときも腰は痛かったけど、普段の痛みとの 区別が付かず、また運悪く(?)知り合いだったこともあり、物損事故として処理。その1週間後、右足首の感覚が殆ど失われる。 |
2度目の病院 | ![]() 前回よりも症状が明らかに進んでるにも関わらず、相変わらずレントゲンのみ。同じように痛み止めを処方される。(ヘルニアはレントゲンには映りません) |
神頼み | ![]() そういう神様にお願いするために時間を掛けて、車の助手席のシートで横になりながら向かったり、コレを飲めば 治ったという人の話を信じて買ってみたり、牽引の機械を買ってみたり・・・。 |
私にとってのバスケ | ![]() この頃には本当はもうムリかな・・と思い始めていた。でも私にとって、コレが無くなったら困ると思うものの一つが バスケだったからいつまで経っても諦められなかった。もちろん練習中に足が止まって転ぶ事もまた出てきていた。 県体に出たり、県リーグに出たり、試合も楽しくて、練習はきつかったけどそれでも楽しくて、 コレをまた辞めるとか考えてなかった。 |
八つ当たり | ![]() そういうことから身近な人に八つ当たりすることも多く、そばにいた人を随分傷つけたり、心配してくれる人の 気持ちを素直に受け取れなかったりしていた。中でも「入院した方がいいんじゃない?」という言葉に一番敏感で、 言われる度に「病院に行っても痛み止めしかくれないのに、どうやって入院するの?」と怒ったり泣いたりしてばかりだった。 人の優しさを素直に受け止められないほど、心が弱ってたんですね。痛みは私の性格すら歪めました。事故から1年が経過していた。 |
整骨院 | ![]() 毎朝出勤前の午前7時に治療を受ける。電気治療・マッサージ・牽引・・それを毎日1年間続けたが一進一退、事故から2年が経過した。 |
3回目の病院 | ![]() レントゲンでは骨の間隔が若干狭いことしか分からないが、坐骨神経痛の進行具合から腰椎椎間板ヘルニアと診断され、 早めの入院を進められ、翌週から入院する事になりその日はMRIを撮って帰る。 |
入院当日 | ![]() 入院当日、先生方がMRIを持って来られて、重度のL4/5腰椎椎間板ヘルニアと告げられる。消滅するタイプのヘルニアもあるらしいが、私のは残念ながら 消滅しないタイプだと思われると言われた。 治療方法として、まずは保存療法の「安静&食事制限(ウェイトコントロールの為)」「牽引」「仙骨(硬膜外)ブロック」「神経根ブロック」を受けていく と説明を受ける。その日から牽引がスタートする。牽引は、腰にベルトを付け、ソレに錘を提げ、腰を引っ張り、30分動かずにいる。 それから最低1時間の休憩を経て、また30分の牽引。それを一日中毎日繰り返す。 |
入院2日目 | ![]() ちょうど尾てい骨の上あたりに注射を打つ。痛いけど、これで治ればなんてことない。 |
入院3日目 | ![]() 次のステップである神経根ブロックの予約を翌週の火曜日に入れ、その週は牽引のみで過ごす。 神経根ブロックは神経に直接注射を打つため、とても痛いらしい。 |
入院9日目 | ![]() 神経根ブロックの前に先生にその事を言うと、「じゃあきっと効くよ」といってもらえた。 時間になり、処置用の緑の衣服に着替え、ストレッチャーに横になり、血管確保用の点滴を打たれる。しばらくし、看護師さんが迎えに来て、 「その部屋」へ向かう。名前と生年月日を確認し、ストレッチャーから台へ移る。 先生が入ってきて、まず神経に直接打つ為衝撃を和らげるべく痛み止めの注射を打つ。針が神経に当たった途端、 ポンと足が上がる。痛みに耐えながら1本目終了。針は抜かず2つめの注入。これは像映用のものだったと思う。痛み止めを打ったけど やっぱり痛い。そして3つめがやっとブロック注入になる。終わった途端の安堵感は忘れられない。それほど痛いし怖い瞬間。 その後ベッドに戻り、1時間は頭を上げることを許されない。寝たままで痛みが取れていることを願う。 1時間後まるで痛みがとれてるかのように楽に歩ける。でもそれは神経が痛み止めによりちょっと麻痺してるに過ぎないので、 本当に結果が分かるのは翌日、とのことだった。願いながら床に就いた。 |
入院10日目 | ![]() 「効果なかったんだ・・」と。10時の回診で、先生に「どうですか?」と聞かれる。「痛いです」と答える。 先生は残念そうな顔で、「神経根ブロックは十中八九の人に効果があるんだけど、1回目で効果が出なくても2回目で効果が 出る人もいるから」と説明。とりあえず1回目は残りの1割・2割の方に入ってしまった。ショック・・。 次のブロックが1週間後に決まる。 |
入院16日目 | ![]() 1回目と同じように処置を終え、入院17目の翌日を迎える。何も変わっていない。先生と話し合い、3回目を打ってみることにする。 2回で効果が出ない場合、3回目での効果はあまり望めるものではないらしいけど、少しでも可能性があれば頼りたかった。 |
入院23日目 | ![]() 今度こそ・・と願いをかけて眠った。 |
入院24日目 | ![]() 次の選択肢は手術を受けるか受けないか。受けないのであればこのまま退院となる。「考えてみます」 と答え、回診が終わる。その後、別の病室にいる手術を受けた人の様子をコッソリと見に行ってみる。 でもとても大変そうで、術前よりも大変そうで、本当によくなるんだろうか、と怖くなる。 家に電話し、「手術はしない」と話すと、今まで我慢してきた涙が出てきて止まらなかった。 |
入院25日目 | ![]() そして翌日から日常生活に戻るためのリハビリを覚えることになる。 |
入院26日目 | ![]() 今日から3日間で覚えて退院する。朝晩2度のリハビリは主に筋トレのようなものだった。あとは歩行練習。線の上をまっすぐ歩く練習をしたり、階段をゆっくり 上り下りしたりする。難しいことではないはずなのに、今はそんなことが大変。 |
入院28日目・退院 | ![]() 不安だけどこれから毎日リハビリするしかない。 |
大切なもの | ![]() 1ヶ月以上練習に行けなかった上、これ以上のプレーはもうムリなのでキャプテンに電話し、挨拶をした。 好きなものを失くすのは辛いね。「マネージャーとしてでも残らない?」とキャプテンは言ってくれたけど、 やりたいことを目の前にしてやれないってこの頃の自分には考えられなかった。 |
リハビリの効果 | ![]() |
抱えていく爆弾 | ![]() それを信じて頑張るしかないかな。 |